Weは「誰もが」じゃない!バッハ会長の「犠牲」発言で浮き彫りになった日本人の脆弱なメディアリテラシー

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“We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make their Olympic dreams come true,” Bach said.

(引用: The times of India

上記はバッハ会長の発言をそのまま伝えるメディアの記事からの引用。

冒頭の「We have to make some sacrifices」の日本語訳が発端となって大きな話題となった。

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悪意すら感じる大誤訳

デイリースポーツ5/22

出典(https://news.yahoo.co.jp/articles/e29d0c1c85be7c9941383ee453a250be5b77a7d8)

上記の画像の赤い下線部が炎上の中心となった部分である。

We have to make some sacrifices を「誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と訳し、to make this possible を「五輪の夢を実現するために」と訳しているようだ。

はっきり言って大誤訳である。

「誰もが」は不可

we は範囲が決まっている

we を見て瞬間的に「私たち」と日本語に変換してしまう人は要注意。

日本語の「私たち」と英語の we には一つだけ根本的に異なる部分がある。

日本語は「誰でも、みんな」といった意味に解釈する余地があるのに対し、英語の we は常に「話し手を含む特定のグループ」しか意味しない。

言い換えれば、we と発言した人の頭の中には、we に含まないグループを排除する意図があるということである。

たとえば、コンビニの店員が we と言ったなら、それは基本的にそのコンビニに勤めている人々を指すのであって客を含むことはないし、衆議院の選挙演説で候補者が we と言ったなら、それは基本的にその人物が所属する政党の人々を指すのであって、国会議員全員を指すのでも、衆議院議員全員を指すのでもない。

もちろん、単に発言者の身分や肩書などで決まるのではなく、文脈が影響することは言うまでもないが、それでも we と聞いたら「話者を含む特定の集団」を指すと考えなければならない点には常に注意してほしい。

ちなみに、英語で範囲を限定せずに言うには everyone / everybody または anyone / anybody などを用いるのが普通である。

原文の発言を辿る

冒頭で示した通り、原文と思われる英語の記事はインドのメディアによって書かれている(リンクは下記)。

Tokyo Olympics on schedule, says IOC chief Thomas Bach despite Japanese opposition | Tokyo Olympics News - Times of India
Tokyo Olympics News: IOC chief Thomas Bach on Saturday asserted that the Tokyo Olympics will go on as scheduled despite opposition from the majority of Japanese...

これを見ずして正確な情報を得ることは不可能であろう。

記事全文は各自で読んでもらうとして、バッハ会長の発言とおぼしき箇所を全て抜粋し、we の正体を掴むことにしたい。

発言は全部で4つ(和訳は筆者)。

※原文の記事に出てきた順に掲載しているが、発言の時系列と同じかどうかは不明である点には注意したい。

発言1

With Tokyo (Olympics) finally on the horizon, the final countdown has begun. During this difficult times, we need to send a strong message of resilience, unity and our diversity. Tokyo will show light at the end of the tunnel.

(東京(オリンピック)がいよいよ目前に迫り、最後のカウントダウンが始まっています。この困難な時期に、我々は復活と団結、そして我々の多様性を示す強いメッセージを発信する必要があります。東京はトンネルの出口にある光を見せてくれることでしょう。)

括弧書きは記事執筆者がバッハ氏の発言に補足したものだろう。

we need to send a strong message の we は間違いなくバッハ氏を含む五輪委員会を指すと思われる。

we が「メッセージを送る側」を指すのはあまりにも明白である。

そして、同じ文の中なので、後に出てくる our diversity の our は主語である we と同じものを指すと思われる(が、抽象的な言い方なので何を言いたいのかよくわからない点は否めない)。

発言2

The safety and security of our everyone is utmost priority. But together with our Japanese colleagues we will have to ensure that our athletes came come together and compete in a safe environment.

(すべての人々の安全と安心が我々の最優先事項です。しかし、日本の五輪委員と共に、我々は選手たちが安全な環境の中で、共に競い合うことができるようにしなければなりません。)

この文に関しては、原文の英語に2ヵ所誤記とおぼしき箇所があることに注意したい(上の和訳は下の注意点を踏まえたものとなっている)。

 1. our everyone ×

 2. came come true ×

まず1点目だが、このような表現は英語として不自然極まりなく(筆者の周囲にいるネイティブ全員が「英語として正しくない」と答えた)、文脈上 our は utmost priority の前に置くと適切な意味を持つため、原文の記事執筆中に何らかの理由で our の位置がズレたものと判断し、以下のように修正した。

The safety and security of everyone is our utmost priority.
「すべての人の安全と安心が我々の最も優先とするところだ。」

こうすれば英語として自然であり、意図も問題なく伝わる。

この our は前文と同じく五輪委員を指すということは明白だろう。

次に2点目だが、これは can come true の誤記で間違いないだろう。

残りの we / our については、

our Japanese colleagues

we will have to ensure that …

our athletes

やはりどれも五輪委員を指していると思われる。

※わかるとは思うが、最後の our athletes は「五輪委員会の管理下にある選手=五輪出場選手」のように捉えることができるだろう。

発言3

Over 70 per cent athletes and officials have already been vaccinated and this number will grow with time. We have also received offers from three vaccine producers for vaccination.

(70%を超える選手及び関係者がすでにワクチン接種を受けており、この数は時間とともに増えていくでしょう。また、3社のワクチンメーカーからも接種の申し出を受けています。)

ワクチン接種のオファーを受ける we とは、間違いなく五輪委員であろう。

発言4(問題の箇所)

We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make their Olympic dreams come true.

(我々はこれを可能にするためにいくらかの犠牲を払わねばなりません。選手たちは必ずやオリンピックの夢を実現させることができるでしょう。)

ここが問題の箇所である。

デイリースポーツは We have to make some sacrifices を「誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と訳した。

繰り返すが、そもそも英語の we には everyone や anyone のような範囲を指定しない「誰もが」という意味は存在しない。

必ず、話し手を含む特定の集団が意図されている単語である。

そして、ここまで順を追って見てきたとおり、バッハ会長の発言に見られる we が示すのは常に五輪委員であった。

つまり、この we を「誰もが」と訳すのは明らかに誤りである。

よって、「いくらかの犠牲を払う」のは「誰もが」ではなく「五輪委員」であると考えるのが自然だろう。

事実、この発言は日本人を対象としていないとIOCが釈明したとする記事(↓)や、

バッハ会長「犠牲」発言、IOC否定「日本にではない」:朝日新聞デジタル
 今夏の東京オリンピック(五輪)・パラリンピック開催をめぐり、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が国際ホッケー連盟(FIH)のオンライン総会に寄せた連盟関係者向けのビデオメッセージ…

そもそも主語は we ではなく、

Everyone in the Olympic Community has to make sacrifices
五輪委員の全員が犠牲を払わねばならない」

という発言であったとする記事(↓)もある。

【東京五輪】バッハ会長〝犠牲に〟発言 IOCは日本人対象を否定(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
 国内外で中止論が過熱している東京五輪について国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長(67)が「我々は犠牲を払わねばならない」と発言したことを受け、IOCは「犠牲」の対象が日本人では

誤訳は明らかだ。

指示語の取り違え

もう一つの誤訳を見ていこう。

We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make their Olympic dreams come true.

(我々はこれを可能にするためにいくらかの犠牲を払わねばなりません。選手たちは必ずやオリンピックの夢を実現させることができるでしょう。)

to make this possible の部分を、デイリースポーツは「五輪の夢を実現するために」と訳している。

ところが実際の発言を見ると、this が何を指すのかは明確ではない。なぜなら、この直前のセリフが何なのかはっきりとはわからないからだ。

ただし、後ろの1文を読むと、「五輪の夢を実現させることができる」と書かれていることに気付くだろう。

この文の主語は「誰もが」ではなく「選手たち(The athletes)」である(当然、後の their が指すのもこれである)。

つまり、この誤訳をしたデイリースポーツの記事執筆者は、this が指す内容を(前にセリフがないため)後ろの文に求めた。

しかしその際に、後ろの文の本来の主語である The athletes を訳さず、かつ前文の主語 we を「誰もが」と訳したことで、

「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」

という大誤訳が生まれ、あたかも

「五輪の夢を抱く人々のために、日本人も含めた世界中の人々が犠牲を払わねばならない」

と言っているかのような文ができてしまった。

確かに、細かいことを言えば指示代名詞 this には後に来る内容を指す用法(後方指示)もありはするが、指示語は基本的に前出の内容を指すものである。

この発言は前文が不明なため推測せざるを得ないが、we が五輪委員であることを取り違えさえしなければ、this が指すのは「東京五輪を開催すること」であると捉えるのはまったく難しくはないだろう。

翻訳記事に関して思うこと

英→日の翻訳記事を書く人へ

こう言ってはなんだが、はっきり言って翻訳力の高くない人間の書いた記事が多すぎる。

たとえ本人が英語力に自信があり、英語を見聞きした当人だけは正しく理解できていたとしても、その内容を変えることなく日本語で伝える力が弱いようならば、記事の執筆は控えてほしい。

少なくとも、より翻訳力のある人間のチェックを経てから世に出してくれないだろうか。

あるいは、大学受験時点で和訳の練習をしっかりやってこなかった人(特にマーク式で合格できてしまうWやK、Sなどの私大出身者)は、この仕事に就く前にせめて大学受験レベルの和訳力があるかの確認をぜひしてほしい。

前回の記事で書いた too good「良すぎる」もそうだが、直訳だけして終わりのようなやっつけ仕事をするぐらいならやらないほうがマシだと自覚してほしい。

伝言ゲームをぶち壊しにすることで不利益を被るのは、受信者だけでなく発信者も含まれることをよく考えて、「正しく伝達しているかどうか」を常に意識してほしい。

※悪意を持って発言意図を捻じ曲げることはなおさら許されないことだが、一部のそういう人間はアドバイスの対象外である。

読者側がすべきこと

そもそも、デイリースポーツは最後の1文を「アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」という、日本語としてあまりに不自然なものに訳している。

※原文は The athletes definitely can make their Olympic dreams come true.

このような部分まで含めて読み、「本当に原文でそう言っているのだろうか。この翻訳は信用に値するのだろうか。」と少し立ち止まって考えてみても良いのかもしれない。

「メディアリテラシー(Media literacy)」という言葉ができて久しいが、やはり一部の人々はこの力が脆弱すぎる。

日本語が元である情報であれば、常にその真偽を疑う姿勢だけあればよいだろう。

しかし、外国語が元である情報の場合は、今回のように、内容以前にそもそも正しく翻訳されているかを疑うところから始めなければいけない。

「誰もが」という主語を盲目的に正しいものと受け取り、後に続くやや刺激的な「犠牲(sacrifices)」という単語に興奮し、我を忘れたかのようにSNSなどで怒りを込めた書き込みをする。

そんな人は、この機会によくよく反省したほうがいい。

発言者本人が言っていないことを言ったと信じ込み、それについて是非を問うほど無駄な労力もなかろう。

少しでも気になる翻訳記事を見たら、原文を探して読むクセをつけたほうがいい。

それができない人は、「オレオレ詐欺」に引っかかる人を笑っている場合じゃない。

原文が英語以外だったら難しいかもしれないが、英語だったらみんな学校で習ってきたはずだ。

少なくとも今20代以上の人は学校で「読解偏重」の英語教育を受けてきているのだから、読むのは得意だろう。

もちろん皮肉である。

実際に読解偏重の英語力をもつ日本人はどれくらいいるのやら。

現実には学校で習った読解すらできない人がたくさんいる。

ところが近年の学校教育では、「読解偏重」を反省して「コミュニケーション偏重」でいくらしい。

今後のメディアリテラシーは改善するだろうか、それとも悪化するだろうか?

火を見るより明らかな気がしてならない。

情報源を辿ることの大切さはもとより、情報源が英語であれば「読める」ことの大切さを、私はせめて私の世話する生徒たち、そしてこの記事の読者くらいには、しっかり伝えていこうと思う。

※読んでくれた人、「くらい」とか言ってスミマセン。

※この記事を読んで私(この記事の執筆者)がオリンピック賛成派だと思った人もメディアリテラシー低いですので注意しましょう。私個人は開催反対派ですからね。

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