【大学入試改革】「身の丈入試」の炎上に乗じて、大学入学共通テストも再考すべし

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新制度の導入延期を受けて

この記事は約1年前に書いたものだが、今回の文科省の決定を受けて、もう一度日の目を見るべきと思い、追記と共にトップページに掲載することにした。

大学入試英語成績提供システムの導入延期は決定したものの、あと1年後に迫っている大学入学共通テストについても同じくらい重大な欠陥が含まれていることを指摘する声はまだ大きくはない。

もう一度萩生田文科省の失言を期待するのも酷な話かもしれないが、「身の丈発言」や「身の丈入試」といった語呂の良いフレーズで世間の関心を呼んだのはやはり大きかった。

大学入学共通テストでは、国語と数学に3題ずつ記述式問題が含まれることになるようだが、50万人を超える規模の記述解答を、2次試験直前の短期間に、完全に共通の採点基準で採点することなど到底不可能なことだ。

ベネッセがこの採点業務を一手に引き受けているらしいが、教育大手ならばこそ、この採点作業が非現実的だということがわからないわけがない。

真実はわからないが、一部で言われている通り、文科省とベネッセとの間に何らかの利益取引があるのではないかと勘繰ってしまうのは仕方のないことだろう。

しかもこの採点業務を、1万人規模の学生アルバイトを雇って対応させるといった話も聞くが、仮にも一人の人間の将来を左右しかねない大学入試である。

私は正直言って、そのような人間たちに将来のかかった問案を預けたくないし、逆に、そのような大きすぎる責任を伴う採点業務をする側にも絶対になりたくはない。

この記事はほぼ1年前に書いたもので、記述式採点の難しさを伝え、大学入学共通テストの導入を再考すべきということを訴える記事である。

今一度、センター試験に代えて記述式の大学入学共通テストを導入することの無謀さを知ってもらいたい。

萩生田氏自身の口から、英語成績提供システムを延期する理由について「自信をもって受験生の皆さんにおすすめできるシステムにはなっていない」からという説明がつい昨日あった。

それならば、この大学入学共通テストについても「自信をもっておすすめできる」ものなのかどうか、もう一度よく考えていただきたい。

最後に書き添えるが、今回の延期決定については、萩生田大臣自身は批判を受ける謂れはないと考えている。確かに決定時期が遅きに失したとは言えるが、彼の大臣就任の時点ですでに手遅れだからだ。

こうして会見の場に立ち、文部科学大臣として延期を決定する決断ができたことについては、むしろ評価されてしかるべきだと思うし、一方で、これまで同システムを強行しようとしてきた人間が一切表に出ず、説明も釈明も何もないことについては激しい憤りを感じる。

これ以上受験生たちを振り回すことのないよう、十二分に精査され、当事者を初め、誰もが納得のいく説明と制度をもって真の入試改革としてもらえればと思う。

追記ここまで(2019.11.02)

記述式の問題点

たとえば、模範解答が次のようなものだったとする。

『親と子どもとの間でのコミュニケーションが一番大切だということ。』

この問題の配点は20点(より細かい条件があった方が考えやすいならば、200点満点でマーク100点+記述100点、記述問題は全5題で各20点)とする。

あなたが採点者だとしたら、次のような答案に何点与えるか。

  1. 新と子供の意思そ通が1番重要だとゆう事
  2. 一番大切なのは親と子どもとの間でのコミュニケーションがあるべきだ。
  3. 子どもと大人が普段から会話をすることがとても大切だということ。

順に見ていこう。

※採点方式には減点法と加点方があるが、一般的である減点法で見ていくこととする。

語句レベルのミス

模範例:
『親と子どもとの間でのコミュニケーションが一番大切だということ。』

答案1:
『新と子供の意思そ通が1番重要だとゆう事』

意味するところは同じだが、使用する語句に相違や脱落があるパターン。

【相違】

  1. 親 → 新
  2. 子ども → 子供
  3. コミュニケーション → 意思そ通
  4. 一番 → 1番
  5. 大切 → 重要
  6. という → とゆう
  7. こと → 事

【脱落】

  1. との間
  2. 。(末尾の句点)

「抜き出せ」という指示があれば何ら問題はない。全くの同一でなければその都度1点減点といった方策がとれる。

そうすると、この答案は9点減点となる。

この問題の配点は20点なので、11点ということだ。

ただし、自由回答である場合、それでは減点のしすぎであろう。

「新」「とゆう」の相違部分、加えて「。」の脱落を減点対象とし、3点減とするのが多数派だろうか。

では「意思そ通」も減点対象とするか。

これも日本語の記述式の問題点の一つだ。

漢字の間違いを減点とするか?(新・親)

するなら、ひらがなで書いても減点するか?(意思そ通)

さらには、「子供」と「事」も減点とするか?

最近、特に教育業界において「子供」という表記が事実上禁止されている。理由は障害者を障がい者(あるいは障碍者)と表記するようになったのと同じである。

「~ということ」や「~のとき」「~のように」など、基本的に漢字にしない表現もある。

要するに、どこまで厳密さを求めるか、ということだ。

ある程度は採点基準として定めるにしても、細かく追及するときりがない。

次に行こう。

文単位のミス

模範例:
『親と子どもとの間でのコミュニケーションが一番大切だということ。』

答案2:
『一番大切なのは親と子どもとの間でのコミュニケーションがあるべきだ。』

主語と述語がねじれたパターン。

言わんとしていることは限りなく模範解答と同じだと思うが、日本語としては完全に失格である。

論点は一つだけだろう。何点の減点とするか。

-1点か?-5点か?-10点か?はたまた0点にしてしまうか?

予め決めておけば現場の混乱は避けられるが、何点減点だったとしても、その根拠が示しにくいのではないかと思う。

なぜ-5点なのか?なぜ-10点なのか。その減点とする明確な理由はあるだろうか。

最後の答案に行こう。

ミスと判断しづらいもの

模範例:
『親と子どもとの間でのコミュニケーションが一番大切だということ。』

答案3:
『子どもと大人が普段から会話をすることがとても大切だということ。』

微妙に意味の異なる言い換えがなされているパターン。

  1. 親 → 大人
  2. コミュニケーション → 普段から会話をすること
  3. 一番 → とても

さあ、この答案は何点にしようか?

どの言い換えも、本文の精査が必要だろう。筆者がどのようなニュアンスで書いているか確認が必要である。

  1. 「親」だけでなく大人全般にあてはまるように書いているか?
  2. 「コミュニケーション」の主要な例として会話を取りあげているか?
  3. 「一番」は単なる強調か、それとも明確なランキングか?

加えて、「親と子ども」の順序が逆転して「子どもと大人」になっている点にも問題はある。

1点減とするか?

・・・・・・

もちろん本文など存在しない架空の答案であるため、議論はこのあたりで終わりにしたいと思う。

実際の答案の99%はこの3番目の答案のように模範例と少しずつ違っており、しかもしばしば答案1、2に見られる間違いも含まれている。

採点者はこれをいったい何枚担当することになるのだろうか。

期間はどれくらいなのだろうか。

お気の毒さま、と言うほかない。

権利と責任

もう少し言わせてもらえば、記述式というのは表面上はマーク形式のようなものでさえ、問題を引き起こすには十分な素材である。

番号を書かせて答えさせるテストを採点すればすぐわかる。

1と7。

0と6。

4と9。

2と3。

5と6。

誰でも一度は指摘するかされるかしたことはあるだろう。

カタカナやアルファベットでも同じことだ。

たった一文字でさえこれなのが記述式だ。

莫大な数の答案を、短い採点期間で、受験者本人も正確に自己採点ができる。

これらの便宜を図る目的で生まれたのがセンター試験だ。

これにかわる記述式テストを推進した人間、および最終決定をした人間には、その権利があると同時に説明責任もあるはずだ。

上記の条件を満たす記述式試験とはどのようなものか?

責めているわけではない。純粋に知りたいのだ。

50万人規模の記述答案を短期間で公平に誰が採点しても同じ得点になる方法が本当にあるのなら、これほど素晴らしい教育的発展はないのではないか。

積極的に世界中にアピールすべき事柄じゃないのか。

なぜ、教育業界の誰もが関心のあるこうした疑問に早く答えてくれないのか。

問題作成者がどれほど困っているか知らないのか。

一刻も早く教えてやってほしい。でないともう本番が実施されてしまう。

答えられないなら、こんな馬鹿げたことは今からでも遅くはないから撤回すべきだ。

記述式は最良の実力測定方法

一応断っておくが、記述式の試験そのものに私は反対しているわけではない。

国語、英語はもとより、数学も、社会も理科も、すべて記述式の試験のほうがより正確に受験生の実力を測ることができるのは間違いない。

そもそも、個人的な話だが、私はマーク式のまぐれ当たりが大嫌いだ。

きちんと考えて正解を出していない人間に点数を与えてしまうのは許せないと思う。

もう少し言わせてもらえば、私は英語と国語の試験は一つにまとめて自由英作文にすればいいとすら考えている。

レベルの高い自由英作文を書くには、ある程度以上の英語運用力はもちろんだが、理路整然と主張を述べる論理構成力も不可欠であり、いわば英語力と国語力の結晶のようなものだ。

100語程度を1本書くだけでは資料として少なすぎるので、最低200語程度のものを2本書かせると、だいぶ正確に実力を測定することができるのではないか。

というようなことを、私は常々考えている。

他にどうしてもというなら、英語はリスニングと面接、国語は漢字・ことわざ・慣用句などのテストに必要に応じて古典を加えれば十分だろう。

何にせよ、私はとにかく高校生の英語の実力は自由英作文で測るべきだと考えている人間であり、ひいては記述式試験肯定派であることをわかってもらいたい。

教育のあるべき姿

しかし、そんな記述式試験の利点は、現状の問題点を比較すればごくごく些細な事柄である。

何よりも優先すべきは、50万人規模の答案が短期間で公平に誰が採点しても同じ得点になる方法でなければならない。

受験生は全員が公平に、理不尽な不利益を被ることなく、安心して試験に臨むことができなくてはならない。特に大学入試は、ほとんどの高校生の人生における大きなターニングポイントであることは間違いないからだ。

間違っても、ある地域では減点なのにある別の地域では減点なしなどということが起こるべきではない。

同時に、自分の自己採点が正しいかわからず、不安に駆られて第一志望を変更することもあってはならないことだ。少なくとも、センター試験であれば、よほどのマークミスでもない限り自己採点ができないなどということはないのだから。

何の落ち度もない受験生が、教育行政の落ち度によって不利益を被るなど言語道断だ。

たとえば「ゆとり教育」と揶揄される若者たちは教育行政の被害者である。彼ら自身に落ち度はないにもかかわらず、年齢でひとくくりにされて簡単に批判の的になる。

これを猛省し、カリキュラムを大幅に修正したのはつい最近のことのはずだ。

また新たな失敗をするつもりか。

子どもはどんなことであれ、失敗してこそ成長する(から許されて然るべき存在だ)が、大人は違う。

もちろん、どんなことでも結果的に失敗することはあるだろうが、そこに至るまでの過程が何よりも大事だ。

大人には失敗しないように最善を尽くす責任があるはずだ。

ましてや公の仕事であるなら、そのプロセスをできるだけ透明化し、議論すべき点を国民と共有し、疑義には真摯に対応すべきだ。

あなた方のそうした姿こそ、将来を担う若者たちが手本とすべき姿勢ではないのか。

最善のものを、最善の方法で、最大の努力で構築していく背中以上の教育などないと思う。

間違っても、あなた方の学歴ではない。

あなた方が今の地位にいるのは、東大を始めとする優良大学を卒業したからではなく、そこに至るまで努力をしたからだ。

評価されたのは結果そのものではなく、その結果を含む過程だ。

話が飛躍してきたので、少し落ち着こう。

現状進んでいる記述式の導入は、まったくと言っていいほど問題が生じないことが想像できない。

無謀無策にしか思えないこの教育改革を、誰かまともな人間がまともな方向に進め直してくれることを願ってやまない。

記述式でも問題ないという方法が思いつかないなら、従来通り、大規模試験はマーク式で行い、記述式は個々の二次試験で行えばいいじゃないか。

一度新しい物事に挑戦してみて、改めて現状の良さがわかった、という結果は間違いとは思わないし、別に間違ったってかまわない。

人間誰しも間違うものだし、未知の領域に進むときに間違いを恐れて一歩を踏み出せないのは、ただ臆病風に吹かれているだけにすぎない。

とにかく、取り返しのつかないことになる前に、きちっと反省し、最善の方法を取ろうとする姿勢を見せてさえくれればいい。

日本の教育を司る場所に、正しい教育者が集っていることを心から願う。

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